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くらしにエッセイ


暮らしのこと


あの頃とは、ずいぶんと暮らしのリズムが変わった。
姉が出産をして、母が子育てと家事の世話をするために家を空けてから、私の朝はゆっくりと白湯をすする時間も無く、お弁当作りや洗濯に追われていた。自分の朝ごはんの時間は10分あればいいほうかもしれない。
1日で一番ほっとできるのが、朝ごはんの時間。洗濯を済ませて、お弁当を詰め終えた後の朝ごはんが楽しみになってから、お楽しみのためにお気に入りのパンやスコーンをお腹いっぱい食べるようになった。
以前は、朝ごはんは、なるべく軽く済ませるように心がけていた。それほど食欲が湧かなかったし、そのほうが健康的だと思っていたから。
美味しい朝ごはんをお腹いっぱい食べることで、家事をこなす殺伐とした時間とのバランスをとっている。
ある朝、いつもよりミルクティーが美味しく淹れられた。
さっきまで、1分、1秒も無駄にしまいと顔をこわばらせて家の中を行ったり来たりしていたのに、たった今は、ミルクティーが美味しく淹れられたことだけで、とても満たされている。
それに、ミルクティーを淹れたカップは買ったばかりで、見るだけで嬉しいもの。お気に入りの皿には美味しいスコーンを。
自分で選んだものたちが殺伐とした時間を止めてくれる。


母が帰ってきてからも、私はお弁当作りを続けている。
改めて、これまで母に甘えっぱなしだったことを反省し、母への感謝が増した。自分のことは自分で出来るようにしたいと思っている。
もっとお弁当作りに余裕ができるように、週末は1週間分のお弁当の献立を決めることにした。
彩りを考えながら、ノートに1日ずつの献立と必要な材料や料理本の頁も書いておく。
保存食を予め作っておいて、朝は、卵焼きだけを作ることにした。
でも、どうしてだろう。作るのは卵焼きだけで、保存食は温めるだけなのに、掛かる時間が以前と変わらないのは…。


以前よりも慌ただしくなった私の暮らし。朝の時間は増やすことは出来ないけれど、自分が満たされるような密な時間にすることは出来る。自分のお気に入りのものを、見て、触れること。
美味しいものを食べること。
今の私が思うことは、外側の条件が揃うことだけが豊かさに繋がるわけではなくて、自分の内側から変わることで豊かさを感じることだってあるということ。
玉子焼きすら作ったことのなかった私が、お弁当作りを続けると決めた。私にとってお弁当を作ることは、私の暮らしを少し豊かにすること。欠けていた部分を補う努力をして、今までになかった豊かさを感じている。
たとえ、お弁当を作ることで朝ごはんの時間が10分になっても、その10分は満たされる時間であるし、自分で作ったお弁当を開けるときには充実さを感じている。


お弁当作りを続ける私に、母が曲げわっぱのお弁当箱をプレゼントしてくれた。
私の作るおかずは不恰好だし、それをまだ上手に詰めることも出来なくて、お弁当箱ばかりが立派でいつも可笑しいなと思う。
でも、自分が作ったお弁当は、誰がなんと言おうと美味しい。




The Essayist's Profile
米澤あす香 1988年生まれ。ARTS&CRAFT静岡スタッフ。
書くことが自分の表現になることを目指しています。
誰かにとって丁度いい言葉ではなく、見たこと、聞いたこと、感じたことを咀嚼して
自分の言葉で伝えていきます。

※エッセイのご意見・ご感想は shizuoka@tezukuriichi.com までお寄せ下さい。


これまでのエッセイ

第1回 わたしの朝ごはん
第2回 今日もお茶をいれる
第3回 はやく、あいたいな
第4回 わが家のおでん
第5回 これくらいの お弁当箱に
第6回 暮らしのこと