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くらしにエッセイ


わたしの朝ごはん


朝、起きたらまずは少し冷ました白湯を一杯。起き抜けの白湯は腸を掃除してくれるらしい。
今日の天気予報を見たら、テレビを消す。目覚めたばかりの頭で、ぼーっとテレビを見ていると求めてもいない情報が自分の中に入ってきて、自分の意志と関係なく思考が流されていってしまうような気がするからだ。
窓から朝の庭を眺める。昨日よりも大きくなったバラの蕾や、姿は見たことないけれどカモメをイメージさせるような、少し太い声の通る鳥の鳴声を聴きながら10分程掛けて白湯をすする。
お腹が空くのは起床してから1時間程経った頃。トーストした食パン1枚の半分。これがいつもの朝ごはん。
朝ごはんは、たくさん食べるようにと言われるけれど、私には小学生のときから朝ごはんを食べることがとても辛いものだった。起きて間もなくは食欲なんてないから、食べたくないものを食べてお腹を満たすことを子供ながらに体に悪いことをしている気がしていた。でも、母親に「食べないと頭が働かない」だとか「元気がでない」などと言われるので、しぶしぶ詰め込んでいた。
しかし、大人になってから知ったのは、朝は体がまだ完全に起きていないので食べ物を消化することは体への負担が大きい。それに、日本人が農作業をしていた時代のように朝からたくさんのエネルギーを消費することもないので、朝ごはんはたくさん食べなくてもよいということだった。私の子供の頃に感じていたことは間違ってはいなかった。朝の時間にお腹に空白を持つことは、自分を健やかに保つ方法だということに、私は大いに納得した。


とは言っても、休日となると話は違う。あれだけ健康に気を使っている風だったいつもの朝ごはんから一転する。
休日の朝ごはんは、パンケーキを焼いてバターを一面に塗りメープルシロップをたっぷり浸るほどにかけてぺろりと食べてしまう。
これまでの「お腹に空白を持つこと」の話が嘘のように思えてしまうかもしれない。
だけど、起きなければならない、支度をして家を出なければならないという誰に強制されている訳でもない、無言の「ねばならない」から開放されるので、いつもの健康に気を使っている風な朝ごはんもお休みになるのだ。
パンケーキは、材料の組み合わせ次第で食感や風味に様々なバリエーションを生む。私もメレンゲを立てたり、チーズを入れてみたり、重曹を加えたりとレシピを研究しながら休日の朝を楽しんでいる。
材料を混ぜ合わせ、温めたフライパンに生地を流し込み、少し火を弱めてじっくり火を通す。ぷつぷつと生地に泡が出たらひっくり返し、裏面に焼き色がついたところで皿に移す。
そして、居間のテーブルへ直行。焼き立てが1番美味しいので、1枚焼けるごとに味わう。熱々のパンケーキに塗って溶けたバターの上からメープルシロップをたっぷりかける。ナイフで切って、ひとくち。ふわふわの生地と口の中に広がるメープルシロップ、この世の幸せと言っても大げさではないと思う。
1枚食べ終わると、また立ち上がり台所でフライパンを温める。焼いて、食べて、焼いて、食べて、台所と居間を行ったり来たり。
3枚目を食べ終わる頃にはお腹がパンパンに膨れて重たいとさえ感じる。
あの頃は朝ごはんを無理矢理食べていたけれど、今は自分のリズムに合わせて食べることを選んでいる。大人になった私の朝ごはんは、お腹も心も満たしてくれる。


The Essayist's Profile
米澤あす香 1988年生まれ。ARTS&CRAFT静岡スタッフ。
書くことが自分の表現になることを目指しています。
誰かにとって丁度いい言葉ではなく、見たこと、聞いたこと、感じたことを咀嚼して
自分の言葉で伝えていきます。

※エッセイのご意見・ご感想は shizuoka@tezukuriichi.com までお寄せ下さい。


これまでのエッセイ

第1回 わたしの朝ごはん
第2回 今日もお茶をいれる
第3回 はやく、あいたいな
第4回 わが家のおでん
第5回 これくらいの お弁当箱に
第6回 暮らしのこと